唐津焼 田中佐次郎 (たなかさじろう) 作 斑唐津徳利の紹介をします。

 

一般的に酒呑みが好む酒器の組み合わせが、

「備前の徳利に唐津ぐい呑」 と昔から言われていますが・・・

 

艷やかで滑らかな唐津の徳利 も、

備前焼とは違った魅力で酒を美味しくしてくれますよ^^

 

そんな、

唐津焼を一言で表すとしたら、

「清楚でいて品があり高貴」 ではないのかと私は思います。

 

しかし、

一言に唐津焼と言っても数多くの種類があります^^;

 

 

唐津焼の種類

 

 

  • 粉引唐津  (こひきがらつ)
  • 絵唐津  (えがらつ)
  • 三島唐津  (みしまがらつ)
  • 黒唐津  (くろがらつ)
  • 蛇蝎唐津  (じゃかつがらつ)
  • 青唐津  (あおがらつ)
  • 黄唐津  (きがらつ)
  • 無地唐津  (むじがらつ)
  • 彫唐津  (ほりがらつ)
  • 刷毛目唐津  (はけめがらつ)
  • 朝鮮唐津  (ちょうせんがらつ)
  • 斑唐津  (まだらがらつ) や 白唐津  (しろがらつ)

 

 

今回紹介する徳利は最後尾にある斑唐津 (別名・白唐津) です。

 

唐津焼の中でも、

最も古くからある岸岳系の窯で焼かれたシンプルな手法で、

 

藁の灰を材料にした釉薬が藁灰釉、

藁灰釉は白色のため白唐津とも呼ばれています。

 

また、

粘土に含まれている鉄分が焼成する事で表面に浮き出し、

青色や黒色の斑点ができる事からも斑唐津と呼ばれる由縁です。

 

では、

斑唐津徳利の写真を見てください。

 

(写真をクリックすると更に拡大できます) 

 

 

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箱書きですが・・・

 

伸びやかで迷いのない字体!

 

もの凄く達筆で格好良いですよね^^

 

淡い乳白色をした斑唐津徳利の立ち姿も凛としています。

 

 

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斑唐津の魅力とは!?

 

 

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見事に斑模様がでた斑唐津ですよね!?

 

写真をクリックして拡大 すれば細部まで見えますよ^^

 

ここまで、

斑唐津の特徴が随所に出た徳利を見たのは初めてでした。

 

 

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微妙に左右対称ではないので、

どの角度から見ても違った景色を楽しむ事ができます。

 

藁灰釉の垂れ具合も私好みでした^^

 

斑唐津は 「シンプルだけど飽きさせない」 の一言につきます!

 

 

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口の造りも滑らかなので、

酒を注ぐ時に暴れる事もありません。

 

しかし、

この口だけを見ているとなんだか・・・

 

穴が無ければ盃のようにも見えるんですよね^^

 

 

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底を見ると藁釉薬の垂れ具合が良く見えます。

 

垂れている藁灰釉の先端が黄緑色のような色がでていて個性的です。

 

それにしても、

柔らかく穏やかな質感がなんとも言えない雰囲気です^^

 

銘は確認しづらいのでご勘弁を^^;

 

それでは、

唐津焼の歴史と田中佐次郎さんの陶歴の一文を借りて紹介していきます。

 

 

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唐津焼は施釉が原則で、この釉薬の掛かった焼物即ち、唐津陶が何時ごろから起こったのかは、確たる文献が乏しく断定はむづかしいが、

今のところ、室町後期 (十六世紀中葉) に李朝陶技 (1390年代創始) を源流に創められたというのが、古窯発掘調査により大方の学者の考察であります。

天下統一をなした豊臣秀吉は、覇道を海外の明・朝鮮へ向け文禄元年 (1592年) ・慶長二年 (1597年) 従韓の役を興し、

諸国大名を肥前名護屋城に集結させ、大軍を発し朝鮮へ出兵しましたが慶長三年太閤秀吉は覇業なかばに没し、外征の諸将は本朝へ撤退を余儀なくしました。

この時寺沢 (唐津) ・ 鍋島・平戸諸藩は、退陣の際に朝鮮陶工を自領にまねき、肥前広範囲に亘り窯を築きました。

異国に渡来した陶工達は、民衆に応えて日用品や茶器を焼き、その製品は近隣はもとより、江戸、堺、三国へと唐津港より船出して唐津焼は 「東の瀬戸」 と共に日本の二大潮流を極めました。

時代は慶長から元和へと、唐津諸窯は風土洋式を異にしながら繁栄しておりましたが、折から有田地方に日本最初の白磁礦が発見され、 「伊万里」 が起こりました。

やがて磁業が土物に打って変わり、全国の需要に応じて量産するようになり、このため土物陶工達は次第に磁器作りに転じました。

しかし僅かの土物窯が、壺・龜・すり鉢など日曜雑器を庶民に供給して陶脈を繋ぎ、江戸末期・明治へと至りました。

李朝陶に起り、入朝和風化へと土着した唐津焼は、幾多の変遷を経て今日なお脈々と生きております。

 

山瀬窯  田中佐次郎

 

 

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陶者 田中佐次郎は、古唐津の中でも最も高雅で気品に富む古窯・山瀬の焼物に共鳴して、その再興を志し、幽邃なる霊峰の山中に恵沢を受けて、積年の苦心の末、その再現に成功した。

風説絶えまざる研鎮は徹底した転職を遂行し、その姿勢は正に、信念を焼き上げる絶体絶命の境地を主張する。

然れば、この根底には、土壌にある宗教心と、且つ又、茶陶の源を発するところの戦国武士道の精神を顕然する。

更に近年は、桃山陶を超える独創的な焼物を焼成、これを世に送り出している。

茶碗、茶入れ、花生、水指はもとより、懐石の向付け一つとっても、先覚者陶工の魂縛が今日の氏に伝承され、即ち、その土味、その形状、特に口造りには、宇宙を感じさせる気宇と天禀が窺えるのである。

また、高台の削りは、古唐津最古の岸獄諸窯を彷彿し、一気に削る旋鋭は、唐津特有の縮緬皺を呈し、正しく、驚天動地の勢いがある。

妥協を許さぬ、潔い精神性が露われながら、その轆轤は自由で伸びやかで、実に妙法の技術を秘めるのである。

 

横浜市  数学者  相川高徳

 

 

田中佐次郎 さんの陶歴

 

  • 1937年 (昭和12年)  北九州市戸畑に生れる
  • 1965年 (昭和40年)  縄文、弥生土器の弥生土器各地発掘、ドルメン調査。手捻りで作陶を始める
  • 1971年 (昭和46年)  肥前一帯唐津焼の発掘調査並びに作陶を始める
  • 1975年 (昭和50年)  唐津市半田に登窯築窯
  • 1980年 (昭和55年)  加藤唐九郎に師事
  • 1985年 (昭和60年)  しぶや黒田陶苑にて個展(毎年開催)
  • 1987年 (昭和62年)  古窯地・山瀬に割竹式登窯移築
  • 1993年 (平成5年)  「陶」 田中佐次郎 を京都書院から出版される
  • 1996年 (平成8年)  韓国慶尚南道地方にて李朝陶器発掘調査並びに山清、大明にて高麗茶碗の研究
  • 1997年 (平成9年)  現代日本を代表する陶芸作家21人として 「21世紀やきものルネッサンス」 に選出される
  • 1998年 (平成10年)  しぶや黒田陶苑30周年記念「三十碗展」(しぶや黒田陶苑)を開催
  • 2000年 (平成12年)  「井戸茶碗展」(しぶや黒田陶苑)を開催
  • 2003年 (平成15年)  韓国蔚山市彦陽の山間に半地上六連房式登窯「亀山窯」築窯
  • 2004年 (平成16年)  5月30日、初窯火入式。「高麗茶碗展」を開催
  • 2008年 (平成20年)  しぶや黒田陶苑40周年記念「高麗茶碗」を開催、「酒器展-唐津と高麗」を開催
  • 2009年 (平成21年)  ソウルロッテ百貨店にて日本人の陶芸家として初個展
  • 2011年 (平成23年)  日本橋三越にて「炎煬 四十周年記念 田中佐次郎展」を開催
  • 2012年  (平成24年)  しぶや黒田陶苑にて「田中佐次郎展」を開催

 

 

渋谷黒田陶苑・新宿三越・新宿伊勢丹・西武池袋店・岡山高島屋・横浜そごう・福岡玉屋・福岡三越・佐賀玉屋・ニューヨーク第一アートギャラリー・フジテレビ内 陶21展などの個展開催

 

 

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田中佐次郎 作 斑唐津徳利

 

  • 底径・・・70mm
  • 胴径・・・130mm
  • 高さ・・・184mm
  • 重量・・・805g

 

写真ではサイズをわかりやすくする為に釣り用のメジャーを使っています^^;

 

 

淡い乳白色をした斑唐津を造るのに欠かせない藁灰釉・・・

米の稲穂を収穫して残る藁から造られる藁灰釉・・・

最後には米から造られる日本酒を注がれる斑唐津徳利とくれば・・・

お酒と酒器の相性が良くない訳がありません。

 

 

お酒を美味しく呑むための酒器ですし、

実際に呑んでみると美味しく感じられるのですから^^

 

 

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